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ブログ 「FREESTYLE TRAVELER」について

 

当ブログ「FREESTYLE TRAVELER」の中の人は2013年7月末に新卒で入社した会社を辞めて2013年9月〜2014年8月にワーキングホリデービザでカナダに滞在。その後、約3ヶ月間の南米旅行を経て2014年10月末から2016年10月までワーキングホリデービザでオーストラリアに滞在。その後、一時帰国を挟んで2016年12月からインドを放浪中です。

当ブログはカナダ・オーストラリアでのワーキングホリデーや南米旅行の経験をまとめようと思い、始めたのがきっかけです。

ブログのテーマは主に以下のとおり

  • カナダ・ワーキングホリデー
  • オーストラリア・ワーキングホリデー
  • 海外、国内の旅行情報(自分が行った先)

です。

 

運営者プロフィール 小田遼太郎について

名前:小田遼太郎 (おだ りょうたろう)

1990年生まれ。現在27歳。

趣味:旅行、ポーカー

Twitterアカウント:@FreeS_Traveler

Instagramアカウント:@ryotaro.oda

2016年10月にオーストラリアでのワーキングホリデーを終えて、同年12月からインドを放浪中。次はどこに行こうかな?現在は当ブログの収益。ポーカー(ライブ&オンライン)の収益で旅を続けています。ポーカーのことはブログのスポンサーとの関係で詳しく書けません。ごめんなさい。直接会った時にでも興味があればお話できますよ!

 

生い立ち

1990年1月13日。香川県高松市で生まれる。その後、大阪の園田に引っ越して阪神淡路大震災の直前に横浜に引っ越す。その後は大学に入学するまで横浜で過ごした。

小学2年生からは近所の友達に誘われて少年野球を始めた。ポジションは「ピッチャーor外野」打順は「1番or5番」

小さい頃は虫取り、ザリガニ取りを毎日する野生児でしたが、小学3年生の冬にその生活は終焉を迎える。

 

中学受験生時代

小学3年生の秋頃。当時、近所の学研に通っていた僕は父親の「もっといい塾に連れていってやる」という言葉にダマされて中学受験専門塾「日能研」の入塾テストを受けさせられる。

日能研は「能力別レッスン」という成績順にクラスが振り分けられるシステムを採用しており、なんと8クラスある中で上から2番目のクラスに受かってしまった。ちなみに、1番上のクラスからは「開成・灘・筑駒・麻布」など超がつく名門私立中学にバンバン合格していた。

おそらく、この時点で親は「中学受験させよう」と思ったのでしょう。しかし、「日能研に入塾する=中学受験をする」ということに本人が気付いてなかった。

平日は週3日で日能研に通い土日は少年野球。日能研は日曜日に試験があるのですが、少年野球があるために「後受験」というシステムを使い、翌週の火曜日あたりに受験。小学生の時点でほぼ休日がないというハードスケジュールをこなす。当時は野球以外にもエレクトーン(電子オルガン)と体操も習っていた。途中でやめたけど。

小学5年生の秋頃から「中学受験をしておけば高校は受験しなくていい。今頑張れば後がラクだぞ!」という言葉を信じて少し勉強を頑張るようになった。

日能研の能力別レッスンは順調に落ち続ける。そして、下から2番目のクラスで安定するようになった。

結局「桐蔭学園中等教育学校」と「逗子開成」に合格。本人はどちらかというと海が近くにある「逗子開成」に進学したかったが、いつの間にか桐蔭中等に入学することになっていた。

ちなみに、当時の得意科目は「算数」。逗子開成には「算数1科目の特別選抜試験」という募集枠10人に対して受験者200人(倍率20倍)。算数の試験だけで選抜するという無謀&少し変わった試験で合格していた。

なお、7年後に受験した東京工業大学の数学1科目受験「4問5時間」という少し話題になったAO試験はあえなく撃沈。募集枠20人に対して受験者600人なので30倍。

 

2002年4月 桐蔭学園中等教育学校に入学

中等教育学校なので厳密には中学のことを「中等前期」。高校のことを「中等後期」と呼んだ。高校受験がなかったのは唯一の幸いだったかもしれない。このプロフィールでは「中学時代」「高校時代」と表記する。

中学時代

2002年4月。桐蔭学園中等教育学校に入学。「桐蔭学園」自体は僕が入学した時すでに42年目を迎えていた。しかし、桐蔭学園中等教育学校は僕が入学する前年度に開設された学校で僕は2期生。大学受験で東大・京大・一橋・国立医学部など超がつく名門大学の合格を目指すための6年間の一貫プログラムが組まれた大学受験専門塾のような学校だった。

学園長いわく中等は「エリートを養成するための学校」らしい。「エリート」とは少なくとも僕と対極にある言葉である。この言葉を入学式で聞いて「入学する学校を間違えたかもしれない」と本気で思った。なお当時、本人は大学受験をすることすら認識していなかった。

以後、学校生活では「1日3時間学習」を合言葉に週末課題と称した課題(冊子)が毎週のように出される。途中から週2回出されるようになった。ありえない量の課題に困惑しながら、必死に答えを写すという無意味な作業を繰り返す。それでも終わらないというあまりの課題の多さに埋もれた残念過ぎる学校生活を送っていた。ちなみに、課題の量は1日3時間では終わらず、徹夜することも珍しくなかった。

また、日能研に続いて桐蔭学園でも「能力別レッスン」。中等は全部で4クラス。数学だけは4クラス中1番上と2番目のクラスを行き来していた。英語、国語は下2つのクラスを行ったり来たり。理科系は平均やや上あたり。

当時、本校のことを2chでは「受験少年院」と呼ばれていたが、否定はしない。また校則もありえないほど厳しい。僕ら生徒の間では「治外法権」という言葉が使われていた。あまりにも内容が衝撃過ぎてここには書けないので割愛。なお、現在はだいぶゆるくなった模様。

中学時代は様々な部活を転々としていたが、実質帰宅部である。

高校時代

高校1年生の時、仲の良かった友達にラグビー部に誘われる。ラグビーの全力でぶつかり合う快感に酔ってしまい、以後ラグビーにハマる。そして、勉強がどうでもよくなった。しかし、勉強である程度の成績を保ってないと部活動を制限されてしまうため勉強も頑張った。

以後、勉強とラグビー部の活動を両方頑張った。というより、ラグビー部を続けるために勉強を頑張った。親からは勉強に支障が出るという理由で最後までラグビー部の活動を反対されたが、当時の僕からラグビーを取ったら何も残らないのでそれだけは譲らなかった。

高校2年生。初海外でケニアに行く

初めて親に頭下げて頼み込んだかもしれない。僕は小さい頃から虫取りやザリガニ釣りを毎日のようにやっていたので、自然に興味があったと思われる。学校の張り紙に「アフリカ野生教室について」という紙が貼られていた。

アフリカに行くプログラムが高校にあったんですね。この時、桐蔭学園に通っててよかったと思いました。というわけで、このプログラムに参加。ナイロビで2泊、マサイマラで5泊。

 

このプログラムに参加した理由は「自然が好きだから」。でも実際にはそれ以上にアフリカで普通に日本人が働いてることに衝撃を受けた。

一人はケニアでサファリガイドとして働いていて、もう一人はタンザニアでキリマンジャロ登頂ガイド、サファリガイドとして働いていた(会社を運営していた)。

当時、学校では先生が「MARCH(明治・青山・立教・中央・法政)以下は将来生きていけない。最低でも早慶」と豪語しており、僕もまともに信じていた。でもなんだこれ?普通にみんな生活してるじゃん。という、当たり前の事実に気付いた。

それに、マサイ族だって放牧を営んで生活してる。彼らに「MARCH以下は将来生きていけないよ?」なんて言っても意味がわからないでしょう。あまりにも狭い世界観で生きてることに気付いてしまった。

というわけで、このプログラム以降は大学受験をする意味について考えるようになった。とはいっても、成績が落ちるとラグビーができなくなるので、ラグビーのためだけに勉強を頑張った。

ちなみに、桐蔭学園のラグビー部といえば全国優勝を狙うような超ウルトラ強豪校ですが、僕は桐蔭中等ラグビー部なのであまり関係ないです。いつも同じグランドで練習してたけど。以前、直接聞かれた時は「桐蔭中等」の説明が面倒だったので、桐蔭学園のラグビー部ということにしてましたが笑

それから、よく聞かれる質問として「大阪桐蔭」との関係ですが、桐蔭学園と大阪桐蔭は全く関係ないです。

2008年4月 浪人生活が始まる

結局、大学受験は全滅。浪人することになった。唯一の生きるモチベーションだったラグビー部は卒業と同時に引退。駿台予備校に入学。浪人生活が始まり、ただ勉強する環境。高校時代はラグビーのために勉強を頑張っていたが、今はなんで勉強を頑張らないといけないのか?そもそも、なんで大学に行かないといけないのか?をずっと考えていた。

浪人してから初めて将来のことを考えるようになる。特にやりたいことはないけど、もう縛られるような思いはしたくないなと。小学校から続いた机上の勉強地獄を経験してからなんとなく悟った。

僕のブログ名である「FREESTYLE TRAVELER」の「FREESTYLE」にはそんな思いが込められている。「ありきたりのルートをたどる」のではなく、「固定概念抜きに色々な生き方がある(FREESTYLE)」というのをこのブログを通して伝えたいという側面もある。

もし、僕が勉強を頑張って一流の大学に入学して一流の大企業に入社したら親は喜ぶと思う。でも、その人生を本人は望んでいるのだろうか?という部分に着目してほしい。誰のために生きてるのか?自分のためじゃないの?

僕は今まで机上での勉強しかしてこなかった。勉強面では優秀かもしれないけど、世の中のことを1ミリも知らなかった。だって、机上で勉強しかしてこなかったから。現在、僕が旅を続けているのはそういった意味もある。

あまりにも世の中のことを知らなさすぎる。実際にいろいろな場所を訪れてリアルな体験をすること(TRAVEL)が一番の勉強だということを高校時代にアフリカを訪れた経験からなんとなく感じていた。というわけで、様々な生き方を旅を通して伝えたいという思いが「FREESTYLE TRAVELER」というブログ名になっている。

世の中のことを1ミリも知らない。そのクセに肩書きだけエリートになるのって恥ずかしくない?って僕は思うんだけど、皆さんどう思いますか?

ただ、残念ながら現在はそんな威張れるほどの実績もなく、中高時代に得意だった数学のセンスが幸いしてポーカーで収益を出している程度。このブログも、もっといろんな人に読んで欲しいなと思っています。

 

2009年4月 東京農業大学オホーツクに入学

これ以上縛られる思いはしたくない。本来は大学に行こうとも思っていなかったけど、どうしても「大学だけは卒業してくれ」と。親もこれだけは譲らなかった。でも、これ以上縛られたら気が狂ってしまう。というより、すでに浪人時代は気が狂って鬱になっていた。

というわけで、実家から遠く離れた北海道網走にある東京農業大学オホーツク校に入学した。これ以上実家にいたら気が狂って死んでしまうと感じたから。気軽には帰ることができない場所。すなわち「北海道or沖縄」。結局北海道にした理由は特にない。当時「二度と実家には帰らない」と考えてたけど、世間体を気にして何度か実家に帰った。

大学時代には漁師や農業のアルバイト、ホテルでの皿洗い、部屋清掃、塾講師など様々なことをしてお金を貯めつつ長期休暇の際には海外に足を運んだ。なお、若干グレーゾーンなことでもお金を稼いでいたが、これに関しては割愛。ポーカーと英語も大学時代に覚えた。

アンコールワット(カンボジア)

グランドキャニオン(アメリカ)

セブンマイルブリッジ(アメリカ)

クアンシーの滝(ラオス)

コタキナバル(マレーシア)

大学時代もラグビー部に所属。なんだかんだ忙しい学生生活だったけど、充実していたような気がする。桐蔭中等時代の「学力貯金」のおかげで大学時代はテスト勉強を含め机上の勉強はほとんどしていないけど、大学の成績はかなり良かった。テスト勉強のコツみたいなのを掴んでいたのかもしれない。

 

2013年4月 サラリーマン時代

結局サラリーマンになった。札幌に本社がある商社に入社。帯広に配属されて、家畜飼料の営業販売をすることになった。

サラリーマンになった理由は「サラリーマンを経験せずにサラリーマンを否定するのは如何なものか」と感じたから。でも、結局僕の性格からして根本的にサラリーマンみたいな働き方が向いてなかったらしい。今まで縛られて育ってきた分、縛られることに抵抗があるみたいです。それに、会社自体も少しブラック気味でしたし。結局、4ヶ月で辞めた。

 

2013年9月 カナダ・バンフでワーキングホリデー

ネットサーフィンしてたらカナダ・バンフにある日本人経営の旅行会社が求人を出していた。スタッフは全員日本人。勢いで応募したら受かってしまった。というわけで、カナダ・バンフに移住。この時に会社から「ワーホリビザで入国してくれ」と言われたので、ワーホリビザを取得。そして、移住。結局はあまりにもテキトーすぎる社長の元でスタッフ同士ストレスがたまり、年末にちょっとしたきっかけで先輩社員とのいざこざがありクビになる。

その後、ワーホリビザであることが幸いして(就労許可があるという意味)片っ端からレジュメをバンフ中のホテルに送ったら面接の機会をゲット。そのまま就職。いろいろあったけど、ビザの期限まで働いた。

バンフの近く。「レイク・ルイーズ」あたり。

 

ちなみに、バンフ在住時にも懲りずにラグビーをしていた。

 

なんだかんだ色々なことがあったけど「ラグビー」がきっかけでバンフではたくさんの友達ができた。

ラグビーチーム「バンフ・ベアーズ・ラグビーフットボールクラブ」はスポンサーが付いてる本格的なチーム。熱心に応援するファンの存在もあった。バンフの街を歩いてると知らない人に声をかけられることもあったし、カルガリーという100kmほど離れた場所でアウェイの試合があった時にもわざわざ応援に来てくれるファンの方もいた。この時ばかりは「スポーツっていいなぁ」と思った。

カナダでのワーキングホリデーが終わった後、南米旅行をしてそのままオーストラリアでワーキングホリデーをスタート。結局オーストラリアには2年間滞在しました。

その後、一時帰国を経て2016年12月からインドを放浪。現在に至ります。

ワーホリ以降のお話は「【回想録】オーストラリア・カナダ計3年間のワーホリ(海外生活)をガチで振り返ってみたよ!」にまとめているので、よかったらこちらも読んでください。

 

これからやりたいこと

生きていく上で1つのことにこだわる必要は個人的にないと思っています。いろいろなことに挑戦していきたいなと。現在は、今まで行ったことのない場所に行ってみたいという思いからインドを放浪中。インド放浪後もまだ行ったことのない国、地域をたくさん訪れてようと考えています。

また、今のような人生を歩むきっかけとなったアフリカで働いてみたいなという思い。それから、僕と同じような境遇の人の手助けができればなとも思っています。結論からいうと、やりたいことが多すぎてここでは発表しきれないです。

世間一般的に言えば僕みたいな人間は非常に恵まれています。中学から私立に通って大学まで行くことができる。世の中には経済的に大学に通うのが困難な人が大勢いるわけです。

僕のプロフィールを見ると「道楽息子」「親不孝者」みたいな批判がたくさん出てくるはずです。「大学に行かせてもらえるだけ感謝しろ」「親の苦労を知ってるのか?」みたいな批判はもう受け慣れています。でも、僕が高校生の時や浪人してる時はそういった言葉を気にしていました。だから、言われるがままに大学に進学し就職もしたわけです。

世の中には、表に出ていないだけで僕のような人って意外に多いと思いのでは?と考えています。特に私立の進学校の出身の人とか。成績が良いからという理由で周りから期待され、期待に応えようと勉強を頑張る。一流の大学に進学し、大企業に入社。周りからはちやほやされ、親からは自慢の息子と評される。

でも、実は本人がそれを望んでるわけではない。あるいは、望んでないことに気付いてしまった。でも、あまりにも期待が大きく、今更戻ることができない。成績の良さや肩書きだけが先走り、周りの期待に応えようと頑張るものの、当の本人はそれを全く望んでいない。

かといって、机上の勉強しかしてこなかった分やりたいことすらない。あーなんで生きてるんだろ。あー人生詰んだ。みたいな人いませんか?そういった方の助けにもなればと思っています。

こういう境遇の人って一般的に経済的には恵まれている場合が多く、仮に相談したとしても「経済的に世の中には大学に行けない人だってるんだ。恵まれてることを自覚しろ。」みたいなことを言われるのがオチなパターンが多いです。「なんでそんな恵まれた環境なのに文句言ってるの?」みたいな。理解されづらいんですよ。

なので、実はそういったことで悩んでる方。僕でよければぜひ相談に乗ります。気軽に問い合わせでもください。
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メール:ryotaro.0113@hotmail.com

というわけで、よろしくお願いします!