今回は日本を離れてから今まで3年間の海外生活を振り返ってみようと思います。というのも、この3年という月日はこれからの人生のことを考えても特に印象に残るであろう期間だと思ったからです。
初めての海外での生活。海外就労。英語環境。その他諸々たくさんの初めてのことが一気に降りかかったのもこの期間です。それに精神的に相当な負担のかかった時期でもありました。
海外生活に憧れる人も多いかと思いますが、確かに楽しいことも多いです。でも、辛いことも多いですよ?
というわけで、カナダ・オーストラリアでの計3年間の海外生活を振り返って感じたことを時系列に沿って綴っていきたいと思います。
新卒4ヶ月で会社を辞めてカナダに行くことにした
サラリーマン時代
僕自身「サラリーマンは絶対向いてないだろうなぁ〜」というのは入社前から薄々感じていました。というのも、上下関係というのが非常に苦手なんですよね。
新卒で入った会社ではうまくいきませんでした。こいつ生意気だなぁ〜くらいに思われてたと思いますよ。
僕はイラっとするとすぐに顔に出てしまうタイプ。上下関係にうるさい年上からは基本的に嫌われます。根本から合わないんですよ、仕方ないですね。
こんな性格なので、「あぁ〜もうダメだこりゃ」ってなりました。
そして、元々はお金を貯めて将来的にはアフリカで旅行業に関わりたいなと思っていたこともあったので、それなら英語も出来るようにならないといけない。だったら海外だ!
こんな感じで海外の転職サイトをいくつか教えてもらい、それを通じて見つけた仕事がカナダ・アルバータ州にある「バンフ」という街の旅行会社でした。
ワーキングホリデービザ?何だそりゃ?
僕は転職サイトで見つけた旅行会社にコンタクトを取りました。すると、「ワーキングホリデービザを取得してから入国してください」って言われたんですね。はぁ?ってなりました。
ワーホリビザって聞いたことはあったけど詳しくは知らない。そんな状態でした。
ネットで調べてみると、1年間のお試し永住権のようなもので、このビザを取るとカナダで働けるらしい。そして、毎年1万人の先着順(2013年当時)
んじゃさっさと取らないと!こんな感じでワーホリビザを申し込んだのは新卒2ヶ月が過ぎたあたりです。
無事にビザを取得、そして会社を辞める
ビザの申請方法はネットで調べればいくらでも出てくるので、見よう見まねで入力して申請しました。カナダのワーホリビザって結構時間かかるんですよ。結局2ヶ月くらいかかりましたね。
そして、2013年9月11日に日本を離れました。
こんな感じなので、僕の場合は「ワーホリに行く」というより、「海外移住」という感覚でした。取得したビザがワーホリビザというだけであって。
ちなみに、バンフの旅行会社の多くはワーホリ期間が終わったら就労ビザを発行してくれます。なので、永住権の取得を狙ってる人がガイド業をするといった傾向があるんですね。これは現地で初めて知りました。
カナダ・バンフの旅行会社に就職
僕が就職したのはバンフにあるアルパイン・ホリデーズという日本人経営の旅行会社。当時は社長含め全部で10人くらいの組織でしたね。全員日本人です。
結論から言うと、クビになりました。
社長や先輩と性格が合わなかった
結局、場所がカナダに移っただけで中身は古い体質の日本企業。上下関係にうるさく、「会社は家族!」とか言っちゃう感じのやつですね。
日本で働いてた時の会社と同じ匂いがして、あぁ〜これはマズイかもしれないなんて思ってました。
でも、わざわざ新卒で入った会社を4ヶ月で辞めてここまで来たんですよ。ここで辞めるわけにはいかない。
今さら日本に帰ったって居場所なんてないですからね。必死に自分を殺して日々過ごしていました。ちなみに、スタッフの中では僕が最年少。当時23歳。
中型バスの免許の取得
旅行会社なので車を何台も所有しています。小さいもので10人乗り、大きいもので23人乗りだったかな?
なので、僕らスタッフも普通の免許だけでなく、Class4と呼ばれるランクが一つ高いライセンスを取得しなければいけませんでした。(カナダの普通免許はClass5です)
何度も落ちながらやっと取れたライセンス。先輩は「あんなの簡単だよ!」なんて煽ってくるので余計にストレスだったんですけどね。
結論から言うと、要点さえ押さえれば簡単です。ただ、その要点を知らないとずっと落ち続けます。
入国して、Class4のライセンスを取得してやっと仕事ができるようになったんですけど、その時すでにお金が尽きそうでした。
9月に入国して、旅行会社の仕事が始まるのは12月。その間、僕はライセンスの取得を目指す一方でホテルでハウスキーパーの仕事をしたんですね。お金がなかったので。
車があまりにもボロすぎた
12月からようやく仕事が始まるも、例年より暇なのかあまり仕事が入らない。それだけでなく、すぐ車が壊れる。
この時、会社は2グループに分かれていました。
”バンフを拠点にカルガリー空港からパノラマと呼ばれるスキーリゾートのある街インバーミアまでの送迎をするグループ”
”インバーミアの街からスキーリゾート「パノラマ」のシャトルバス運行をするグループ”
僕はシャトルバス担当になったので拠点をバンフからインバーミアに移しました。シャトルバスは基本的に23人まで。
そして、僕が持っているライセンスClass4も最高で23人までしか乗せられないと法律で決まっていました。
ただ、現実はそういうわけにもいかず、一度に50人なんて乗せた時もありました。なので、バスはすぐに壊れます。
タイヤが外れかけた時もありました。修理屋さんに行くとネジが完全に外れてたんですね。
ちなみに、カナダの冬は寒いです。こんなところで事故ったら大惨事ですよね。
車は3日おきのペースで壊れました。
「俺、バンフにいるから知らないよ〜」
こんな感じの無責任な社長なので、どんどんストレスが溜まっていきます。最後は些細なことで先輩スタッフとのいざこざになり、僕だけクビになりました。
[su_heading style=”flat-green” size=”18″ align=”left”]回想録の各ページの目次[/su_heading]
- 1,2 カナダ・バンフ(Banff)
- 3オーストラリア・ブルーム(Broome)
- 4オーストラリア・シドニー(Sydney)
- 5オーストラリアでのファーム生活 NSW州ヤング(Young)、QLD州ゲインダー(Gayndah)
- 6オーストラリア・カラサ(Karratha)
- 7目的(目標貯金額)の達成後
- 8語学について
- 9まとめ
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